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2012/01/22

田浦駅近くの米軍専用線廃線跡

横須賀線田浦駅から海に向かって旧米軍専用線の廃線跡があることは知られていますが、先日、思い立って見に行ってきました。webではいろいろなレポートがアップされていますが、道路工事が進んで徐々に痕跡がきえていっているようです。

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田浦駅の横須賀方向を見たところです。いちばん左側が専用線につながるトンネルです。右から明治、大正、昭和の生まれということですが、いちばん新しいトンネルが使われなくなっているわけです。

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駅から海の方向に進んで、最初に線路に出会う場所です。線路は奥に続いているようです。

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もう少し進むと二つの線路が出会うところがあります。左上の写真で左方向に進むと最初の写真の場所に出ます。

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先に進んだところにあった橋は、残念ながら撤去されていました。
柵などはきれいだったので、撤去されたのはそれほど前ではないと思います。橋台は残っていました。

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さらに進むと踏切がありました。箱崎踏切と書いてありました。
右から来るのは田浦駅のトンネルから続く線路で複線になっています。

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ここで、この廃線跡最大の見所(?)、平面クロスに出会います。
田浦駅から来る線路はこの奥の長浦港に向かいますが、関係者以外立ち入り禁止です。かなり先まで線路は続いているようでした。

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ここまでたどってきた線路は、この先の道路トンネルの手前で田浦駅から来た線路と合流します。

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トンネルの手前か途中まで入ったところでスイッチバックをしていたようです。
ここまでがいま簡単に見ることのできる廃線跡です。田浦駅に戻る途中で、横須賀線から分かれる部分を確認してみました。

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右の写真は左と同じ場所を横須賀線の車内から撮ったものです。
港に並ぶ倉庫も情緒があって1時間ほどですが、昭和の雰囲気を思い出しながら十分に楽しめました。ただ道路の改良などでいつ消えてもおかしくはない状況ですね。

最後に周辺の地図を貼っておきます。いまのところきれいに線路が描かれていますね。現役で貨物が走っていた頃はどんな様子だったのでしょう。見てみたかったですね。

http://g.co/maps/nd6at

2011/11/25

「未来をつくるBOOK」を紹介します

3.11をふりかえり、語り合うための本つくりをお手伝いしました。

『東日本大震災をふりかえり、今を見つめ、対話する 未来をつくるBOOKです。
11月24日より発売が始まりましたので、私のブログでも紹介します。

くわしい内容紹介は、発行元のESD-Jのホームページをご覧ください。全体は10章で構成されていますが、最初の章のサンプルを電子書籍(風)に作ってみました。


(画面の右上をクリックすると、全画面表示になって読みやすくなります)

この本をきっかけに、多くの子どもと多くの大人が東日本大震災の体験と未来について語り合ってほしいなと思います。

対象:小学校5年生以上のすべての人たち
A4判56頁 定価700円 (税込)
発行:認定NPO法人 持続可能な開発のための教育の10年推進会議(ESD-J)
発売:みくに出版
http://mikuni-webshop.com/

2011/02/02

【新刊】エクストラ・レッスンを作りました

このブログは、「鉄と馬との日々」と題していますが、今日は私が関係した本を紹介させてください。

「エクストラ・レッスン」
読み・書き・計算に困難のある子どもに役立つ動きとお絵かきのエクササイズ

著者  オードリー・E・マカラン
訳者  冠木友紀子
発行  プロジェクト・ミカエル
発売  株式会社みくに出版
ISBN978-4-8403-0427-6 C3037
定価 4725円(税込) 電子版 2100円(税込)

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本の内容は、発達に困難のある子どもたちのためのシュタイナー教育を基盤とした学習支援教育に関するものです。これだけ総合的な内容のものは、日本で初めてと思います。
こちらのサイトで、詳しく紹介していますのでご覧ください。

書籍版は、大きな書店やamazon、版元のみくに出版で販売しています。
電子版は、電子書店パピレスで販売しています。

※2月6日現在、amazonでは品切れ扱いですが、みくに出版や他のサイトでは購入できます。amazonの在庫データも修正を依頼しています。

2010/12/19

「ちえの木の実」は、いまクリスマスブックフェアです

私のいちばん親しい本屋さん、ちえの木の実では、いまクリスマスフェアをやっています。
お店のNさんのお断りして、写真を撮らせてもらいました。

大きなツリーも飾っています。

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このツリー、確かアメリカかカナダから直輸入したと聞いた記憶があります。
飾りは、お店の人の手作りがほとんどです。羊毛のおもちゃがたくさんついています。

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ディスプレイもクリスマスバージョンです。手前に羊毛が置いてありますが、手触りといい色といい、素敵です。

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渋谷駅東口から歩いてすぐのところにあります(246沿いです)。
いちどのぞいてみてください。

2010/07/21

飛田穂州の「熱球三十年」を読む

梅雨になる前から、梅雨明けまでゆっくりと読んでいた本。日本の学生野球の父といわれる飛田穂州の「熱球三十年」です。
読む前まで飛田穂州という人は、精神野球の人と思い込んでいましたが、この本を読んでまったく違うということを知りました。一言で言えば、とても合理的で人情味もあるコーチです。選手との関係も上意下達ではなく、互いの力量を尊重しあう同志とでもいえる感覚があります。
このへんの事情は、赤瀬川隼さんが書いている解説でも次のような文章で表現されています。

「一気に読み終えた僕は、少なからぬ驚きに包まれていた。同時に自分の不明を恥じていた。不明は二重の意味を帯びている。一つは、明治、大正、そして昭和初期にかけて、こんなにも明朗闊達な野球をやっていた時期があったのかということ、そしてもう一つは、精神野球の権化のように思ってきた飛田穂州という人物が、こんなにも柔軟で開明的で諧謔に富んだ人だったのかということだ。」

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いま全国で夏の高校野球大会の予選が進んでいますが、この本を読んでいると、いまの高校生よりも大正から昭和にかけての学生野球のほうが、その精神においてははるかに柔軟だったように感じます。
もちろん、飛田穂州の指導したのは早稲田大学の野球部で年齢的にも20歳前後。人生50年の時代の大学生です。いまの高校生よりもずっと大人だったから、こんな指導ができたのかもしれませんが。

ちょうど20日の朝日新聞に元ジャイアンツの桑田真澄さんが、野球の練習方法について語っていました。そこでも飛田穂州のことに触れて、上意下達、絶対服従の精神野球云々のあとで、しかしその練習は、科学的・合理的であり決して精神論だけではないと述べています。
おそらくこの本を読んだ上での、発言なのだと思います。(早稲田大学大学院を修了した桑田さんにとって、飛田穂州は大学の大先輩にあたります。)

なぜこんな闊達な野球への姿勢が、とくに学生野球のなかから消えてしまったのか、なぜ明治生まれの若者は、こんなにも自由なのか、コーチはいつから監督と呼ばれ「王」のように振舞うようになったのか。

中公文庫の復刻版で、すでに入手しにくくなっていますが、高校野球を横目で見ながらの夏休みに最適の本だと思います。 

*amazonでは品切れとなっていますが、私は、2ヶ月くらい前に書店で注文して購入しまし   た。その時点では、中央公論新社ではお客さんの注文には応じているようでした。

2010/05/13

河竹登志夫先生と堀多恵子さん

いま、日本経済新聞の「私の履歴書」に演劇研究家の河竹登志夫先生が執筆されています。河竹先生は学生時代に授業を受けたことがあり(といっても大教室での一般教育科目だったですが)、わかりやすい語り口を憶えています。
その先生の「履歴書」なので興味を持って読んでいたところ、幼いころに坪内逍遥に頭をなでられたという記述に、びっくり! 坪内逍遥といえば、日本の近代文学、近代演劇の祖といえる人ですが、私にとってはまったくの文学史上の名前です。その人に頭をなでられた方が、私の目の前に立っていたとは。。。 
時代はつながっているというか、坪内逍遥が思いのほか身近というか、「明治は遠くなりにけり」という言葉がはやったのは昭和40年代だと思いますが、意外に明治も近い、と思ってしまいました。

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それと同じような感慨が、堀多恵子さんの死去の報。堀多恵子さんは作家・堀辰雄の妻です。堀辰雄というと、私が河竹先生の授業を受けていたころにずいぶんと読みました。昭和28年に49歳で亡くなっているので、坪内逍遥とは違いますが、私にとっては、やはり文学史上の作家です。
堀多恵子さんの存在は「妻への手紙」(堀多恵子編)で知りましたが、二人の関係のすがすがしいというか清冽な印象を憶えています。その堀多恵子さんが先月亡くなったのですが、報道を見たときに、失礼ながら「ご存命だったんだ」と驚きました。
中野重治や神西清と同世代で立原道造や福永武彦の先生のような存在、室生犀星や芥川龍之介とも直接交流のあった人の妻ですからね、ちっとも現実感がありませんでした。その方が、ついこないだまで信濃追分で生活していらしたんですね。

文学の世界のつながりというか、過去と現代を感じてしまう、ふたつのエピソードでした。

2010/04/03

自己治癒力のこと。「癒す心、治る力」を読んで

仕事の必要もあって、自己治癒力、代替医療、ホリスティック医学について少しだけ勉強しています。まず読んだのは、この2冊。

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う~ん、いわゆる科学的な世界に慣れていると受け入れにくい議論かもしれません。でも、私は割合にすんなりと理解できそうな気がしました。病気に限らないのですが、例えば学校の成績が悪いとか協調性がないとか、そんな子どもに出会ったときに、表に出ている症状だけが問題なのではなく、その子どもの全体を見なければ何も解決しない、ということを日々、感じているからかもしれません。
病気もその症状だけを抑えようとしてもうまくいかなくて、病気を持っている人そのものに目を向けなければならないのでしょう。
ある種の宗教に近いようにも感じるのは、病気を克服するためには身体だけではなく心のあり方も大切である、心と身体には相関があるという考え方が、「信じること」「信頼関係」などを基本とする宗教の根本的な部分とつながるからではないかと思います。
ということは、宗教に対するときの「人」と同じように、こうした代替医療に対しても自立した個人というのが絶対的に重要になるでしょう。

「癒す心、治る力」の巻末には「賢い患者のための七大戦略」という章があります。そこに書いてある処方箋が、まるでビジネス戦略か自己啓発モノに見えてしまうのは、何でも仕事に結びつける悪い癖でしょうか。。。

例えば、

「積極的に助けを求める」 → 「厳しい仕事は自分だけで抱えこまず、常に協力を求められるような関係をつくっておく」

「人生の大転換を恐れない」 → 「仕事上の課題を解決したり、より高いレベルの仕事に向かうとき、必要ならば過去の仕事のやり方や実績にとらわれてはいけない」

「病気を貴重な贈り物とみなす」 → 「自分にとって難しいと思える仕事、厳しい上司、取引先などは、自分のスキルを向上するためのチャンスととらえる」

「自己受容の精神を養う」 → 「仕事に失敗する自分でも、能力が不足している自分でも、まずはそれを悲観せずにそのまま受け入れるところからスタートする」

というような風に読めるのではないかと。。。

病気をまずは全体としてとらえて受け入れるという考え方は、病気に対してだけでなく、生きていくときのあらゆる場面に有効ではないかと思えてきました。

2010/03/07

港の見える丘で二葉亭四迷とめぐりあひ

横浜の関内、元町方面に続けて行く機会がありました。あまりなじみのない方面ですが、そのうちの1日、二葉亭四迷展に興味があって神奈川近代文学館を訪ねました。
二葉亭四迷は、日本における言文一致による近代文学の先駆者であり、ロシア文学の最初の紹介者です。1864年(元治元年)生まれということを考えると、時代をかなり先取りした精神の持ち主だったのでしょう。そしてそれは、文学者として高名でありながらそれを拒否して、実業やジャーナリズムの世界での成功を目指し、挫折していくという人生を招きます。二葉亭の精神の葛藤は、いまを生きる人にもあてはまる課題をはらんでいるように思います。代表的な作品には「浮雲」「平凡」、翻訳として「あひゞき」「めぐりあひ」など。

みなとみらい線の横浜中華街駅から港の見える丘公園を目指して歩きますが、上り坂ばかりでなかなか疲れます。

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冷たい雨の降る日だったので、ほとんど人の姿もありませんでした。初めて訪問しましたが、ロケーションは素晴らしいですね。
例によって展示室の撮影は不可なので写真はありませんが、二葉亭の自筆原稿や日記のようなメモ、葉書などは興味深いものばかりでした。
パンフレットにありますが、文学を放棄し北京に渡った時期、新聞特派員としてのペテルブルク時代の日記、書簡類のなかに見る「失敗続きの生涯」「徹底した自己省察」に、現代にも通じるある種の人間の強さと弱さを感じます。一言で言えば「知識人の弱さ」ということなのかもしれませんが、それだけでは済まされない課題があるように思えました。
自筆原稿を見ながら、「浮雲」や「其面影」を読み直したくなりましたが、果たしていまの私に読みこなせるかどうか。。。 とりあえず書棚の奥から本を出してきましたが、若いころと違い、老眼というハンデもありますしねぇ。。。

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(パンフレットと家にあった二葉亭四迷全集第3巻)

展示をひととおり見てから、駅に戻りました。
道の途中で横浜港が見えました。雨に煙る眺めもなかなか良いものでした。

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1908年、二葉亭四迷は海を渡り単身、ロシアに向かいましたが、生きて再び日本の地を踏むことができないということを想像していたのだろうかと、ふと思いました。ちょっと感傷的になったようです。

*「中村光夫文庫から 没後100年 二葉亭四迷展」は神奈川近代文学館で4月18日まで開催されています。

2010/02/21

DVDのついた本、「動きこそいのち」

今日は私が仕事でかかわった本のご紹介をします。

20世紀初めに活躍した思想家、ルドルフ・シュタイナーが提唱した身体表現、芸術であるオイリュトミーを紹介した「動きこそいのち オイリュトミスト ヘルガ・マイケルズの世界」です。

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オイリュトミーは音楽や言葉のリズムと響き、語られた言葉そのものを動きとして身体で表現しますが、すこしばかりわかりにくいところがあります。そのオイリュトミーとは何かを知るための手助けとなるDVDブックがこの本です。世界的に活躍するオイリュトミスト、ヘルガ・マイケルズさんが演じるオイリュトミーDVDとインタビュー本を組み合わせています。
舞踊や身体表現に興味のある方や幼児教育に携わる方にとっても興味のある内容だと思います。もちろんシュタイナー思想や人智学を学ぶ方には最適です。
DVDの一部をYouTubeで公開しているので、ご覧ください。

ご興味のある方は、下のリンクからamazonで詳細をご覧ください。
よろしくお願いします。。。

2010/02/09

本の値段のつけ方

ブログのタイトルに「本」があるのに、あまり話題に出てきません。いま進めている仕事で考えていることがあったので、少し書いてみます。

本には定価があります。一方、本も普通の商品と同じように、一度にたくさん作ると原価が下がります。そこで、本の値段を決めるときには、どのくらいの数を作るのか(=どのくらい売れるの)がポイントになります。1万部売れるとわかっていれば、安い値段をつけられるし、500部しか売れないとなれば、薄い本でも高くなります。一般に、専門書が高くなるのは、このためです。

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ところで、いま治癒教育に関わる翻訳書の出版を進めています。治癒教育というのは、なかなか説明が難しいのですが、さまざまな困難を抱える子どもたちを見つめ、成長を促す方法とでも言いましょうか。
とても良い内容なのですが、大きな書店でベストセラーになるような本ではありません。

そこで、はたと困ったのが、いったいいくらくらいの定価をつければいいのだろうということです。この本を求めている人にはそんなに余裕のある方はいらっしゃらないでしょうから、できるだけ安く提供したいけれど、しかし私たちが出版活動を続けるためには赤字というわけにはいきません。
出版したらどのくらい売れるのか、どうも見当がつきません。

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そんなとき、考えてみたのですが事前にその本を欲しい人を募ってみてはどうかな、と。
さらに、100人集まればこの値段、500人集まれば、この値段ということを公開して、たくさんの人が買う意志を表明してくれるほど、出版時の定価が安くなるようにしたらどうでしょう。ベストセラーでたくさんのお金を稼ごうという考え方には沿いませんが、購入者にとっても出版社にとっても良い方法ではないかと。
もちろん、募集コストは低くしなければ本末転倒ですが、幸いインターネットを使用するれば経費もかからずに進めることができるのではないかと考えています。

その本をほしいという読者の数によって、価格が決まる本というのはいままでの常識からはおかしなことのように感じますが、実はユーザーと出版社と著者(訳者)を一直線で結ぶ当たり前のラインなのではないかと、思えています。

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