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2011/03/22

数日間をふりかえって その2

地震から一夜明けて、とりあえず仕事を休み実家の母親の様子を見に行くことにしました。
新宿駅までは京王線を利用しますが、この日の出発案内はこんな様子でした。

Img_2011032109

京王線はかなりの本数減ではありましたが、それほど混んでいませんでした。
この時点では、東北地方の大きな被害も報道されていて震えが来るほどでしたが、それでも都心はいつもとあまり変わらないように見えました。
とくに驚いたのが小田急デパートの地下食品売場です。いつもとまったく変わらずに営業していて、私も実家に持っていく惣菜をいくつか購入しています。関東では、大した影響はないのではないか、という淡い気持ちが生まれてきました。

この日は、この1枚だけです。
このあと新宿駅から埼玉の実家まで、通常ならば1時間と少しのところを5時間かけて行くことになりました。
埼京線の本数が少なく、超満員で乗れません。結局、田端駅にまわり京浜東北線で大宮駅へ行きました。考えてみれば、前日に帰宅できなかった人たちが殺到したわけなので当然です。
東北線と高崎線は30分に1本程度の運転だったと思います。大宮駅のホーム上の通路には人があふれていました。

このときの私のツイートを引用します。

「山手線の外回りはゆっくりと走っています。埼京線は35キロ制限。大宮方面行きは非常に混んでいます。池袋では乗り切れない人がいます。」
「現在、大宮駅の高崎線、宇都宮線ホームは大混雑で規制中。ホームに降りることができない状態です。」
「宇都宮線が来たので、やっと乗った。いま大宮。13時45分ごろの発車とのこと。」

こんな風にしてやっと、実家に帰りました。大宮駅から白岡駅まで1時間くらいかかりました。
東北新幹線が止まっていたため、車内には東北方面、とくに郡山、福島周辺に帰ろうとした人が、とりあえず宇都宮か黒磯まで行こうという感じで何人も乗っていました(携帯電話の会話でわかりました)。この人たちは、いったいこのあとどうしたのだろうと、いまでも気になります。

土曜日、日曜日は良いお天気で、東北地方の悲惨な状況には衝撃を受けましたが、幸い実家は大きな被害がなかったので比較的平穏に過ごせました。
そして、日曜日の夜、計画停電(最初は輪番停電と言っていました)と首都圏私鉄の運休のニュースが入ります。大慌てで情報収集、あっという間に夜中になってしまいました。この時点では、翌朝、宇都宮線が終日運休になるとは思ってもいませんでした。。。

翌日は早めに起きたものの、テレビニュースで宇都宮線が運休と知る。タクシーも当然、いません。途方に暮れる、というのはこういうことを言うのかと。どこにも出ることができず、会社にも行けず、ショックを受けました。
津波の映像を見ながら朝食をとっていた時間は、重苦しかったですね。

その後、駅まで様子を見に行くも、シャッターも閉まり運転の気配はありません。そのまま友人宅に寄って少し話をしました。場合によっては近くの東武線の駅まで送ってくれるというので、気が少しまぎれました。9時になり、友人宅の前の大型スーパーに寄ってみました。母親の買い置きに少し食品でもと思ったのですが、店内はものすごく混んでいて、買い物カゴが足りないくらいです。結局、餅、カップ麺、うどん、バナナなどを購入し、レジに30分ほど並んで帰宅しました。

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午後3時過ぎになって自転車で東武野田線の岩槻駅まで行こうと準備しましたが、先ほどの友人が大和田駅まで送って行ってくれるというので好意に甘えました。この時にはすでに一般道路の渋滞だけでなくガスリンスタンド渋滞も起きていたので、少し早めに出かけました。大宮駅周辺などは、とくにひどかったということです。

大和田駅では1時間弱電車を待ちました。着いたときには駅の照明が消えていましたが、20分くらい前に照明がついたときは感動しました。生命のよみがえり、というと大げさですが、ほっとしました。

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まずは回送電車がとおり、18時過ぎには予定どおり大宮行きがやってきました。

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大宮駅から先は、意外にも順調に乗り継ぎができました。なにしろ全線運休の路線や土曜日の大混雑の記憶がありましたから2倍の時間で行ければ上出来と思っていたところが、座って帰れたわけなので。

新宿駅には取材陣がいました。この時点ではまだ新宿駅の混雑にもニュース価値があったということなのでしょう。スタッフの様子に、あまり緊張感は感じませんでしたが。

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小田急も京王も電車の運行は大幅に乱れていたのは確かですが、この時間はそれほど混んでなかったと思います。

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この日はデパートもかなり早く閉店していたようですね。2日前の土曜日とは大きく様子が変わっていました。
地震被害のあまりの悲惨さ、原発事故への怖れ、無力感などいまもなお続く人々の不安が、はっきりとした形になってきたのがこのころかもしれません。

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しかし、「非常時」というのは。。。

笹塚駅で降りて、なにか食料を調達しなければといつもスーパーに行ったところこんな張り紙があり、閉まっていました。

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月曜日の街は暗く、ひっそりとして、不安を増幅させるようでした。

そして、それは日が経っても変わらず。。。

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私の地元笹塚十号通り商店街の16日夜です。
人がいません。正直、恐怖を感じました。原発事故の拡大か、新たな災害か、なにか私だけが知らない事件が起きているのではないかと、一瞬、思ったほどです。
(もちろん、そんなことはないのですが)

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(16日午後10時半頃の京王新宿駅。ガラガラでした)

このとき感じた漠然とした怖れ、不安と同じものが、この1週間を覆っていたような気がします。

地震当日から10日以上経ち、人も街も少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるように見えます。しかし、以前のような「普通」に戻るには、まだまだ時間がかかりそうです。
そして以前のような「普通」に戻っていいのかどうかも、いま問われているのではないでしょうか。
その問いの答えを探しながら、前向きに進んでいくのがいまの私のやることだと思っています。
                                         (この項終わり)
*記事はごく個人的な記録と感想です。

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