飛田穂州の「熱球三十年」を読む
梅雨になる前から、梅雨明けまでゆっくりと読んでいた本。日本の学生野球の父といわれる飛田穂州の「熱球三十年」です。
読む前まで飛田穂州という人は、精神野球の人と思い込んでいましたが、この本を読んでまったく違うということを知りました。一言で言えば、とても合理的で人情味もあるコーチです。選手との関係も上意下達ではなく、互いの力量を尊重しあう同志とでもいえる感覚があります。
このへんの事情は、赤瀬川隼さんが書いている解説でも次のような文章で表現されています。
「一気に読み終えた僕は、少なからぬ驚きに包まれていた。同時に自分の不明を恥じていた。不明は二重の意味を帯びている。一つは、明治、大正、そして昭和初期にかけて、こんなにも明朗闊達な野球をやっていた時期があったのかということ、そしてもう一つは、精神野球の権化のように思ってきた飛田穂州という人物が、こんなにも柔軟で開明的で諧謔に富んだ人だったのかということだ。」
いま全国で夏の高校野球大会の予選が進んでいますが、この本を読んでいると、いまの高校生よりも大正から昭和にかけての学生野球のほうが、その精神においてははるかに柔軟だったように感じます。
もちろん、飛田穂州の指導したのは早稲田大学の野球部で年齢的にも20歳前後。人生50年の時代の大学生です。いまの高校生よりもずっと大人だったから、こんな指導ができたのかもしれませんが。
ちょうど20日の朝日新聞に元ジャイアンツの桑田真澄さんが、野球の練習方法について語っていました。そこでも飛田穂州のことに触れて、上意下達、絶対服従の精神野球云々のあとで、しかしその練習は、科学的・合理的であり決して精神論だけではないと述べています。
おそらくこの本を読んだ上での、発言なのだと思います。(早稲田大学大学院を修了した桑田さんにとって、飛田穂州は大学の大先輩にあたります。)
なぜこんな闊達な野球への姿勢が、とくに学生野球のなかから消えてしまったのか、なぜ明治生まれの若者は、こんなにも自由なのか、コーチはいつから監督と呼ばれ「王」のように振舞うようになったのか。
中公文庫の復刻版で、すでに入手しにくくなっていますが、高校野球を横目で見ながらの夏休みに最適の本だと思います。
*amazonでは品切れとなっていますが、私は、2ヶ月くらい前に書店で注文して購入しまし た。その時点では、中央公論新社ではお客さんの注文には応じているようでした。
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