よん・さん・とうの駅時刻表
よん・さん・とうと聞くと寝台電車の581系を思い出します。月光型とも呼ばれていました。
昭和43年10月1日付けで実施された国鉄の時刻大改正の略称でした。そういえば当時は何年かに一度、白紙ダイヤ改正というのが行われていました。
ダイヤを修正するのではなくて、まっさらの方眼紙に引き直すから白紙改正と言ったらしいですが、コンピュータを使用してダイヤを作るいまの時代では死語ですね。
ところで小さいころに収集した切符の束の中から昭和43(1968)年10月改正の東北本線白岡駅の時刻表が出てきました。いまでもこうした時刻表は作られていますが、活字で組んで印刷されているのでところどころ文字が曲がっていたり、かすれているのが時代を反映しています。
しかし40年近く前とは言え、現在と比べると本数が半分以下というか三分の一程度というのには驚かされます。当時も都心に通勤する人がそこそこいたはずなので、さぞ大変だったでしょう。この頃は保線作業のために昼間に1時間程度列車の走らない時間帯を作っていましたが、それ以外にも平日の上りで9~11時台、13~16時台に普通列車が1時間に1本しかないというのは、想像がつきません。そのかわり、特急や急行が頻繁に走っていたということになります。
朝の上りと夕方の下りに1本だけ東京発着があるのが目をひきます。また客車列車も下りでは6時21分発郡山行、12時2分発一ノ関行、16時41分発福島行、23時28分発青森行と4本あります。とくに青森行は奥羽線経由の夜行で青森到着が翌日の深夜という凄い列車でした。このほかにも白岡駅通過の客車列車があったかもしれません。牽引機は、この頃はEF57やEF56だったと思います。
いまはもうなくなってしまったバス路線も掲載されています。
広告に載っている電話番号が3桁になっているということは、当時はまだダイヤル直通の自動通話ではなく交換手に番号を伝えてつないでもらう形の電話だったということになります。携帯が普通になっている現在では、考えられませんね。
高度経済成長の最終段階に入り、2年後には大阪で万国博覧会が開催される時期ですが、東京から1時間程度の町は、まだまだのんびりしていたようです。
木造の駅舎の前には数台のタクシーが止まり、バスが時折やってくる。日通倉庫前の側線で貨車の荷降ろしをしている横を特急列車が通過して行く。
この時刻表を眺めていると、そんな風景が思い浮かんできます。
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