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2006/06/19

姿を消す足利競馬場

北関東から競馬が消えて1年以上経ちました。足利競馬場は2003年3月に北関東3場のうち最初に廃止されましたが、廃止前に一度だけ行ったことがあります。尊氏賞というG3があった日でした。いかにも地方競馬らしいのんびりとした雰囲気でしたが、お客さんは1000人いたかどうか。
その後も場外馬券売場やトレセンとして使われていたはずですが、6月の初めに訪問したところ取り壊しが始まっていました。どうも大規模な医療施設(医科大学?)ができるようです。もともと河川敷にあった競馬場なので工事が進めば、あっという間に更地になって消えてしまうでしょう。思い出のためというのは少々淋しいのですが、写真を撮ってきました。
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いちばん左の写真は競馬場入口へ向かう取り付け道路です。左側が堤防なので河川敷のなかというのがわかります。訪問した日はここまでタクシーで来たことを思い出します。奥には馬運車が数台置いてありました。馬運車の右側に見える建物は厩舎関連だったと思います。
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取り壊しが進んでいたのはパドックと入口周辺で、奥のほうの観覧席(手前のガラス張りは指定席だった)はまだ工事が始まっていないようでした。パドック脇の建物にはあしかが競馬という文字がうっすらと残っていました。
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昔の駅の改札口のようなところが入口です。パワーショベルの向こう側がパドックだったはずです。外側にまわると観覧席の壁には足利競馬宇都宮競馬の看板が... 壁にはずうっと地元の小学生の絵が飾ってありました。観覧席の建物の向こうに見えるのは左がオッズ、右が着順の掲示板です。記憶ではオッズ掲示は単複と枠連だけだったような。一見、ターフビジョンに見える着順掲示板の右側は、あしかがけいばと書いてある絵(というかモザイクのようなもの)でした。ターフビジョンがないのでクビ、ハナなどの差だと場内放送が流れるまで着順がまったくわからずヤキモキした記憶があります。確定後しばらく経つと、観覧席の下のほうに判定写真が掲示されるのもローカルな雰囲気でした。
廃止が近づいた頃にはなくなっていたそうですが、親子の馬の写真の下あたりは食堂でした。20~30人も入ったら超満員になってしまうようなお店で、生ビールとラーメン、それとひとつ100円くらいの野菜天を食べたような気がします。4コーナーからゴールにかけての直線はあっという間で、あんまり追い込みはききそうもありませんでした。ただ河川敷コースのせいか空がとても広かった記憶があります。いまも空の広さは変わりませんが...
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元調教師だった方が最近お亡くなりになったとき、そのお嬢さんが遺骨をもって競馬場を訪れたという話を警備員の方が教えてくれました。最後まで働いていたところを見たい、見せてあげたいという気持ちは私にもわかります。思い出はもちろん永遠ですが、思いが込められた形のあるものや場所が消えてしまうというのは、やはりたまらないものです。

最後の写真は足利競馬場に行った日の競馬新聞(青競)と番組表、記念にもらったタオルです。メインの尊氏賞は、本紙予想通りサンクスメモリーが1着でした。彼は昨年、10歳にして交流重賞に出走後、高崎の廃止とともに北海道競馬に移籍しましたが、その後どうしているでしょう。競馬場がなくなり、人も馬もバラバラになってしまいました。
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コメント

初コメントします。いつもお世話になっております。
元調教師さんも本望でしょうね。競馬は特殊な職業だから場所に思い入れがある人も多いでしょう。私も2度行きましたが、2度目に行ったときは開門のちょっと前に着いただけなのに1番目の入場者になってしまった思い出があります。先着何名様に抽選で..というプレゼントがあって、1番の紙をもらい、当然のように外れた記憶があります。

マスターさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
プレゼントと言えば、最後の写真に写っている「北関東HOT競馬」とプリントされているハンドタオルもプレゼントでした。尊氏賞の表彰式のあと、勝った金井正幸騎手が客席に投げ込んだビニールボールをキャッチすると景品がもらえるというファンサービスがあったのです。そのときの景品が写っているタオルです。10メートルくらいしか離れていないところから勢いよく投げ込まれたボールを、追いかけてやっと拾い上げたような気がします。

南関4場はナイターもあって盛んですが北関は高崎が最後で全滅してしまいましたね。
群馬は伊勢崎にオート、前橋に競輪、桐生にボートがありますから競馬は厳しかったんでしょう。加えて電話投票もできたし。
中央も20年前は写真判定を成績表のボードに貼っていました。私もクビ差で1万円の券を当てたなんてこともありました。
場内雰囲気だけなら神奈川の川崎競輪がお勧めです。ここは往年のバクチ場の雰囲気が残っています。伊東温泉競輪も雰囲気ありました。

SATOさん、コメントありがとうございます。
JRAのPATとCSの競馬中継で全国どこにいても週末は楽々と競馬ができるようになると、平日の昼間にやる地方競馬は苦しいのは当然かもしれません。ナイター競馬は、周辺の環境や交通手段、人口などの要素があってどこでもできるというものではありませんしね。
川崎は競馬は何度も行っていますが、競輪はありません、今度、覗いてみようと思います。

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