消えていく本屋さん
私は本の営業をしていますが、仕事柄本屋さんを訪問する機会が多くあります。だいたいはすでに取り引きのある本屋さんを訪ねるわけですが、まったく新規に飛び込むこともあります。そうした場合は、前もって全国書店一覧のような本(電話帳みたいな本です)を見ながら訪問するお店を選びます。選ぶポイントは広さや立地などですが、私の会社の本はそれほどメジャーな分野ではないので、置いてありそうな本屋さんということで広さについては100坪以上を目安にしています。
そうして尋ねてみると、残念ながらしばしば元気のない本屋さんに出会います。多くは地元の古くからのお店で、立地は繁華街とは言うものの郊外の大きなショッピングセンターにお客さんを奪われ、シャッターの下りた商店が目立つというケースです。確かに以前は100坪以上の広さはあったのでしょうが、コミックや文具があった2階を閉めてしまっていたり、フロアの半分が倉庫のようになっていたり...
私が小さなときに住んでいた町にもそんな本屋さんがあって、音楽雑誌を買ったり、文庫本を買ったりし、大きな町まで行く機会の少ない小中学生にとっては文化の窓口のような存在でした。地元の小学校や中学校の先生が本を購入するお店でもあったようです。そうした本屋さんが、いま徐々に消えつつあります。
郊外のショッピングセンターに全国チェーンの書店が入れば、その品揃えからいっても周辺の人々にとって便利になっていくことは間違いないでしょう。こうした書店のおかげで本や雑誌についての(映画や音楽についても)中央と地方の情報格差は格段になくなってきています。これを書いている私にしても、集客力のあるこうした書店に自社の本を置いていただくことを営業の大きな目標のひとつにしています。
ただ、古くからそれぞれの地域の文化や情報を支えてきていたはずの地元の本屋さんが消えていくことには、さみしさを感じざるを得ません。ノスタルジックな感傷というだけでなく、それまで果たしてきた役割が誰の記憶のなかにも、何の記録のなかにも残されていかないことに、なにか不当な、不公平な、割り切れないものを感じてしまいます。
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